25歳で乳がん末期宣告「甲状腺に転移しています」
「甲状腺にもガンができています。おそらく転移でしょう。」
どうも改めして最強妻のKTです。
前回の「25歳健康そのものの私に乳がんがみつかった」に引き続き、私の乳がん経験についての第2弾です。
前回の記事はこちらから↓
乳首からの出血を見つけてからすぐに乳腺科を受診して、マンモグラフィーとエコーの結果、乳がんの可能性が高いと宣告された日、
25年間生きてきて、初めて眠れない夜というものを経験しました。
さすがに当時25歳の私にとってがん宣告はそれなりにショックだったのだと思います。
両親にひと通り状況を伝え、さて明日の精密検査に備えて寝ましょう、と思い自分の部屋に戻りましたがどうしていやいや眠れないのです。
目を閉じると、とてつもない量の考えが浮かんでくるのです。
もちろん不安がほとんどでした。
ガンってことはあと数年で死んでしまうのかなぁ
もしかしたら数年と持たないかも
どうしようかな
私このまま死んでしまうのかな
まだたくさんやりたいことあるのになぁ
心臓がどきどきと、ぞくぞくの間を繰り返しました。
不思議と涙はでてきませんでした。まだはっきりガンだと断定されたわけではなかったからでしょうか。しかしどうしても落ち着かず、緊張と不安で起き上がったり横になったりしながら時間が過ぎていきました。4時を過ぎた頃だったでしょうか。真っ暗な部屋で目を閉じ横になり、どうにか落ち着く方法はないかと試行錯誤した末、宇宙を想像してみよう、とふと思いつきました。なぜそれが宇宙だったのかいまだにわかりませんが、壮大なイメージを浮かべることで自分の命のちっぽけさを実感しようとしたのかもしれません。横になったままの状態で自分の身体が宙に浮いて、そのままどんどん空を昇っていき、惑星や星がきらきら光る宇宙にでていきました。地球が青く輝いていているのを横目にみながら、「深呼吸、深呼吸」と自分に言い聞かせたのを覚えています。
すると不思議なことにすぅっと眠りについていました。
この夜の出来事は自分にとっても不思議な体験でした。ガン宣告を受けた当日のような精神が不安な状況でも自分の感情をコントロールできるという、自分の強さ、人間の強さをはじめて知りました。
これまで私は、緊張するとすぐおなかを壊す、試合ではいつもの力が発揮できない、相手が高圧的だと逃げたくなる、というように、自分のことをとても精神的に弱い人間だと思っていました。それゆえに、まさかこんな出来事に耐えられるとは思ってもみませんでした。
人間って思っているより強い生き物なんだな、自分が思っている限界よりも先に本当の限界があるのかもしれない、本当にショックな出来事に直面したときは意外と冷静になれるのだな、ということを知りました。
それでも数時間ほど経ち目が覚めてしまったので、あきらめて暇つぶしに漫画を読むことにしました。このときクッキングパパを読んだのを覚えています。
我が家には200冊を超える漫画の本棚があります。その中でもクッキングパパを選んだのは、クッキングパパのストーリーにはドキドキハラハラ、争いなどという内容がほとんどないからではないかと今では思います。さすがにがん告知を受けた日にこれ以上のドキドキは必要ありませんよね。何度も何度も読んだクッキングパパの単行本ですが、癒されました。なんでもない日常のほっこりとした出来事に、美味しそうな料理の数々。ショックな出来事があった日、がん告知を受けた日に読む漫画として皆さんにおススメしたいと思います。
後に再発した時はある事情で読めなくなりました。詳しくは別の記事で。
こうしてようやく迎えた診察当日。
極度の心配性の母親がどうしても家で待っていられないというので、母に付き添われて病院に向かいました。
紹介状をもって、血液検査、レントゲン、マンモグラフィー、エコーなどの一通りの検査を終えて診察の前で自分の名前が呼ばれるのを待ちます。
私は今でも、検査結果を聞く前のこの瞬間が一番嫌いです。普段の生活では比較的ガンのことを忘れて生活していますが、がんセンターの外科の診察室で待っているときは自分がガン患者であることを実感させられます。そして同じように診察室のまえで待っている数十人の患者さんたちもどこか重い空気を漂わせています。
自分の検査結果を待ちながらそんな中数時間待たなければなりません。しかも隣には極度の心配性の母。私はいつも母のことが気になって仕方がありませんでした。ショックをなるべく受けないように先生が説明してくれないかな、そんなことばかり考えていました。
そんな時、父も仕事を抜け出して病院に到着しましたが、私の名前が呼ばれると、父は診察室の外で待っていると言うのです。
母と二人で診察室に入って先生が言ったひとことが
「甲状腺にもガンができていますね。おそらく転移でしょう。」
目が点になりました。母は慌てて父を呼びに行き3人で話を聞きましたが、先生が言うにはエコーで胸の検査をした際に首元の甲状腺にガンらしきものを見つけたとのこと。
乳房と甲状腺のどちらの細胞も採ってみないとはっきりしたことは言えないものの、間違いないでしょうとのことでした。
この時私は、ずいぶんと端的にはっきりと、「転移でしょう」と言うものだなぁと感じたのを覚えています。昔のような本人に告知をしない時代ではないのはわかっていましたが、こんなにストレートにこちらの様子を伺うわけでもなくポンッと言ってむしろ大丈夫なの?困惑してパニックになる人いるんじゃないの?と思いましたが、意外と私もびっくりしましたがパニックにはなりませんでした。ただただ「転移」という言葉の深刻さはわかっていたので「まずい」と感じました。
そのまま先生に淡々と「細胞診をするから」とまたもや検査に戻されました。
エコー室は遮光カーテンに囲まれた狭い空間にひとつベッドが置いてあり、画像を見るために薄暗く、白色灯のスポットライトだけがベッドにあてられていました。
そのベッドにおそるおそる横になり、まずは胸の細胞を採りました。局所麻酔を打たれたので痛くは無かったのですが部屋中に響く「バチン!バチン!」という細胞を採る機械の音にとても不安を掻き立てられました。
甲状腺のガンは小さい針で採るので麻酔なしでも痛くないとのことでしたが、なかなか細胞が採れず何人も先生が来ては細い針をのど元に何度もグリグリと刺されました。
ついに細胞が採れたときには、喉元の痛みと胸の痛み、不安、転移と言われたショックが混ざり合って、とうとう涙がでてしまいました。
一度出始めた涙を止めることは難しく、この2日に起きた出来事がめまぐるしく頭の中を駆け巡りました。外で待っている両親にこれ以上のショックを与えまいとなんとか涙を止めて検査室から出たのを覚えています。
この時の両親のことを思うとどれほどの心配をかけたかと思いますが、いまだにこの時の話をすることはできていません。お互いに涙なくしては話せないことだからなのか、もう思い出したくないからなのか。
いつかあの時の両親の気持ちを聞くことができたら、同じように娘さんや息子さんが病気になってしまった方々や、病気になってしまったご本人の家族への対応の参考になるのではないかと思っています。
そしてこの日から検査結果がでるまでの1週間、私は人生で一番不安な時間を過ごすことになったのでした。
つづく。
~今日の最弱伝説~
妻「最近仕事が疲れる~仕事行きたくない~」
夫「そうか~そしたら、妻ちゃんが仕事減らせるように~」
妻「えっ!?(わくわく)」
夫「俺が仕事がんばる~」
妻「おっ!!」
夫「とは言わない~」
妻「(うん・・・)」
~今日の教訓~
無理ができないのを自分でわかっている
以上ここまで、最強妻のKTでした!
ばい!