うちの夫は人類最弱

まんぼうレベルの生存能力の夫をもつ人類最強妻のブログ

25歳、健康そのものの私に乳がんが見つかった

乳首から血が出た。それが最初の症状だった。

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どうも改めましてヌーサ在住のKTです。

今日はわたしが乳がんになったときのことをお話しようと思います。

32歳になった今でこそ、オーストラリアで仕事にサーフィンに英語にといった毎日を送っていますが、ここまで来ることは私にとっては簡単な道のりではありませんでした。

それは25歳の夏でした。

 

当時23歳で出会ったサーフィンにハマリ、午前中はサーフィン、午後は派遣、夜はバイトを2つ交互に掛け持ち、とめまぐるしい生活を送っていました。

そんなある日、乳首の辺りがヒヤッとしたので見てみると、ブラジャーに小さい赤い点がありました。

よくよく見るとそれは血のようだったので確認するとそれはどうやら乳首からでたようでした。

職場の上司に相談すると、婦人科ではなくて乳腺科に行くように言われたのですぐに近くの乳腺科を受診しました。

問診では、

「乳首からの出血の9割が乳腺炎で、乳がんの確立は1割です。KTさんはまだお若いし大丈夫でしょうが、念のため検査をしましょう」

とのことだったので、少しだけ安心しながらマンモグラフィーを受けました。

マンモグラフィーは、おっぱいを透明な板のようなもので挟むことで平らにし、その写真を撮るというものでした。人様の前で左の乳房をおもむろに差し出し、看護師さんの手で引っ張られながら機械で自分の乳房が挟まれていくという滑稽な姿になんとも言えない気持ちになりました。

マンモグラフィーは痛いと聞いていましたが、激しい痛みはなく、ただただ引っ張られて伸ばされる自分の乳房がその後伸びて垂れてしまいそうな気がして少し複雑な気持ちでした。

当時私の左のおっぱいは、全体的に少し硬く、つかむと痛い、常に生理前のような感じでした。今思えば右のおっぱいはそうでもなかったので、自覚しようと思えばできたかもしれません。

マンモグラフィーが終わると、次は血液検査。

といっても乳首から出る血液の検査でした。今度は看護師さんから乳首をぎゅーっと絞られて、小さなプレートの上に滴のような血液を乗せていきました。

数滴分の血液を絞り終わる頃には、もうこれ以上出ませんよ、というほどの量でした。

さて次は先生がエコーをするというではありませんか。

ずいぶん熱心に検査をするんだなぁと感心していると、私の差し出した左胸を検査しながら先生がこう言ったのです。

「今日ここに来ていることを両親はご存知ですか?」

なぜそんなことを聞くのか検討もつかず、両親は知らない旨を伝えると

「紹介状を書くので明日、医療センターで精密検査をしてきてください」

とのことでした。医療センターは私の住む街で有名なガン治療の総合病院でした。

ようやく事態が飲み込めてきた私でしたが、両親が心配性なので1人で行ってきますと先生に言いました。すると先生は

「事態が重くなってから伝えるのでは遅いですから、明日、ご両親と一緒に検査に行ってきて下さい。残念ながら、乳がんの可能性が高いです」

 

25歳の夏、早すぎるがん告知でした。

 

「え、どうしよう」

おなかの下辺りがざわざわとするのがわかりました。

案外悲しみや辛さやパニックはなく、一番初めに浮かんだ感情は、両親への申し訳なさでした。

小さい頃からたくさん愛情をそそいでくれた両親は、物心ついた頃から私にこういい続けました。

「両親より先に死ぬのが一番の親不孝だよ」

自分の子どもには心身ともに健康でいてほしいという両親の一番の願いです。

 

その日は夜勤の予定でしたが職場にはすぐに連絡を入れ休みをもらいましたが、なかなか家に足が向きません。

なにしろ両親に一番悲しいお知らせをしなければならないのです。

とにかく海がみたい、と思いました。

小さい頃からずっと海とは慣れ親しんできたので、海をみると落ち着くと思ったのかもしれません。

近くに砂浜はなかったので港の岸壁のベンチに座り、海を眺め、気がつけば5時間が経っていました。

 

いっそこのまま伝えないでおこうかな

でも先生は事態が重くなるかもしれないなんて言っていたし

余命宣告なんてされるのかな

今までたくさんのことをしてもらったのに何も返せずに死んでしまうのかな

両親に伝えたらなんて言うかな

どんな顔するかな

悲しませちゃうな

いやだなぁ

 

いよいよ真っ暗になって、夜の11時になってしまい、覚悟を決めて家に帰りました。

 

夜勤に行ったと思っていた私が帰ってきたので、両親は少し驚いた様子でリビングにでてきました。

そこで、乳首から出血があったこと、今日乳腺科にいったこと、乳がんの可能性が高いから明日精密検査に行かなければならないことを、なるべく淡々と話しました。

もちろん両親は驚いて、言葉がでないようでした。

この時の両親のことを思うと、本当にショックだったと思います。

私が大学生の頃でさえ、連絡なしに22時を過ぎると本気で警察に連絡しようかと思ったと泣くほどの母親です。

そんな母親はもちろん検査についてくると言ったので、自分ひとりで行くよと伝えると、これまた泣かれてしまいました。

 

父は比較的冷静に振舞ってくれ、とにかく明日検査なんだからみんなちゃんと寝よう、と母を諭してくれたように覚えています。

 

そして次の日。

またもや私は衝撃の宣告を受けることになったのです。

 

 

つづく。

次回「甲状腺にもガンができています。」

 

 

 

~今日の最弱伝説~

 

妻「夫くん今日はなんだか体調よさそうだね」

夫「そうだね」

妻「なんでだろうね」

夫「はっ!今日はお水たくさん飲んでいるから!お肌もつやつや~」

 

 

~今日の教訓~

 

休みの日は機嫌も体調も良い

 

 

 

以上最強妻のKTでした。次回お楽しみに!Bye!